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OCUSAは体育会系クラブ各OB会の連合体です。現役部員の活動を側面からバックアップしています。

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 ・・記録に残る、記憶にも残る、チームや人を紹介するページです。
・・(各クラブから頂いた原稿をそのまま掲載しております)
・・(敬称略、原稿到着順で掲載)

只今、加盟各クラブOB会、各現役クラブから募集中です。
・・・・・どんどんお寄せください写真も一緒にお願いします。>>送信先メール


稿到着順で掲載
硬式テニス部
水泳部
ヨット部
ボート部
女子ハンドボール部
ソフトテニス部
オリエンテーリング部
競技ダンス部
サイクリング部
女子ラクロス部
男子ラクロス部
山岳部
サッカー部


 

 学内プール(屋外50m):松下幸之助さんがテープカットをして50年
     50周年記念式典と記念行事が2016年8月27日(土)10時~と記念行事が行われました。
                                                 (水泳部からの投稿です)

  プール完工50周年
 記念式典
記念行事

    <水泳部主催>













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 記念式典兼記念行事 内容

  (どなたも見学できます。受付10時からプールサイドで行います)

日  時:2016年8月27日(土)
●記念式典:10時30分 プールサイド(小雨決行、大雨の時は会場を高原記念間に変更)
      ・ご来賓からの祝辞
      ・感謝状贈呈
      ・「感謝」プレートお披露目
      ・模範水球
      ・模範競泳
      ・その他
●記念講演:(高原記念館)11時30分
●祝 賀 会:(野のはなハウス)祝賀会  13時00分 14時30分閉会
  >>詳しくは大学のHP(イベント情報)をご覧ください。
  

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写真左:
当日、松下幸之助氏による完工式のテープカットのシーンです。
後ろには当時の学長(渡瀬譲教授)、大阪市長(中馬馨氏)、大阪市会議長の顔も見えます。


写真右:

日本水泳連盟顧問の藤井正太郎先生(当時80歳代)の古式泳法による式泳のシーンです。
応援団が観覧席から応援をしています。

※松下幸之助氏は今でも経営の神様として、世界でも有名ですが、このプールは、当時「大阪市立大学後援会」という財界から資金的に市大をバックアップしようという目的でできた組織があり、その理事長に松下幸之助氏が就任され、その事業の最初の事業としてこのプールの建設が選ばれました。
水泳部93年間の歴史の中で、半分の40年間はプールのない水泳部で
それでも部の燈火は消さずに続けてきた間の念願が叶った瞬間です



50年前の完工式のもよう

松下幸之助氏によるテープカット
テープカットをする松下幸之助氏(中央白髪でめがねの人)  観覧席には応援団が  水中は80歳を過ぎる
                              藤井正太郎先生(日本水連顧問)の古式泳法披露
   


かって、ウインブルドンの覇者がいた(硬式テニス部の三木龍喜さん=経済学部)
・・・・・昭和元年高商卒業。昭和2年デ杯に出場。以後もデ杯の主将としても何度も出場。

 

 

硬式テニス部

ウインブルドン(1934(昭和9)年)ミックスダブルス決勝の模様

(深田佑介著『さらば麗しきウインブルドン』から転載)(三木、ドロシー・ラウンド組)

三木龍喜は、デ杯戦のあと、この芝の乾いているウインブルドンに出場、シングルスは2回戦で、南アフリカのカービーと組んだダブルスは準々決勝で、それぞれ敗退したが、ドロシー・ラウンドと組んだミックストでは、破竹の勢いで勝ち進み、1回戦でチェコのローラー夫妻を破り、2回戦でイギリスのフレッシュウオーター・ロバートソン組、3回戦で、グランギュラス・アンドラスのオーストリア・米混合組、第4回戦でオーストラリアのマックグラス・ハーチガン組、5回戦で、三木の親友、青木とハートウイグ組をそれぞれ破った。準決勝でイギリスの強豪、リー・ジェームズ組と6−3、6−2で倒し、遂に決勝に進出、前年度世界順位4位のオースチンとシェファード・バロン夫人の組と対戦することになったのである。

7月7日午後4時、最終試合、ミックスト決勝に先立って、英国国王ジョージ五世と皇后メアリーは、フレッド・ペリーとドロシー・ラウンドをロイヤル・ボックスに招き、祝いの言葉を授けた。
この年は英国庭球界にとって画期的な年で、男女シングルスとも、イギリスのフレッド・ペリーとドロシー・ラウンドが優勝、25年ぶりに男女選手権の優勝がイギリス選手の手に帰したのである。三木龍喜の長年にわたる、ドロシー・ラウンドへのコーチが実を結んだかたちであった。

イギリス名物のお茶の時間が終わって、観客が席に戻ってきたところで、いよいよ最終試合のミックスト決勝がセンターコートで開始された。
相手のオーステインはいうにおよばず、シェファード・バロン夫人もダブルスの名手で、1931年には、ウインブルドン女子ダブルスに優勝している。

第1セット、ドロシー・ラウンドは国王と接見した興奮が去らないのか、調子が出ず、3−6で落とした。ドロシーの出足が遅いのを三木は良く承知しているから、敢えて声をかけたりはしない。

第2セットに入って、ドロシーの調子が漸く出てきて、重い球質のグランド・ストロークが相手のベースラインぎりぎりに決まり始めた。ラリーが続き始め、三木はじりじりと中央にせり出していって、敵の送球領域ををせばめてゆく、相手が無理にパッシングで抜こうとすると、身を翻して叩いた。ロブをあげてくると、スマッシュを軽くバロン夫人に返す。再びロブをあげてくると、またスマッシュを軽くバロン夫人に返す。
そして相手陣形の乱れをマって、その間隙をつく強烈なスマッシュをどかんと入れる。
この日の三木は絶好調で、まるでミスのないテニスをした。

バロン夫人が37歳、スタミナに限界のある点を狙って、バロン夫人のサイドのネット際にぽとりぽとりとドロップ・ヴォレーをしきりに落とした。芝生が乾いていて、ボールが2,30センチしか弾まないのを知った上での戦術である。
ドロシーにグランド・ストロークの応酬をさせて、後方に引きつけておいては、繰り返し、ドロップ・ヴォレーを落とした。

オースティンの方もいくぶん虚弱体質気味の点があって、体力に自信がない。次第に焦り始め、三木とドロシーはこのセットを6−4で取った。
第3セットは三木の独壇場だった。ここまでノー・ミスの三木は、パッシングにヴォレーに超美技を連発し、三木の一打ごとに大観衆がどよめき、拍手を送った。

ドロシーとのコンビは絶妙で、まったく相手の付け入る隙を許さず、ラブ・ゲームのまま試合は進行、三木は50数ゲーム、ノーミスで最後に三木の打った一打でゲーム・セットとなった。スコアは6−0で相手に1ゲームも許さなかった。大拍手の中で、三木とドロシー・ラウンドは握手し、オースティンは「ウエル・プレイド」と三木のプレイを称賛しつつ、握手の手を差し伸べてきた。

遂にただ一人の日本男性として、三木龍喜はウィンブルドンの勝者の歴史に名を残したのである。サンデー・エキスプレス紙の記事によれば、カメラマンの注文に応じて、写真を獲り終えた、ドロシー・ラウンドは、正面から三木を見つめ、

「ミッキー、あなたは勝っても負けても表情を変えないひとなのに、今日初めて、そんなに楽しそうに、大きく口を開けて笑うのを見たわ」
微笑を含んでいった。

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ウインブルドン女子ダブルス優勝・澤松和子さん(現姓吉田)の父です
澤松 さん(学21)

テニス界きっての名門・沢松家の
一家団欒の貴重な写真

後ろ左から
沢松忠幸さん(奈生子さんの父)、沢松豊さん(奈生子さんの祖父)、保子さん(祖母)、前の三人は沢松奈生子さん、順子さん(母)、沢松和子さん(現姓吉田、奈生子さんの伯母)

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北京五輪(2008年)・シンクロナイズド・スイミングで日本代表・チーム五位
・・・・・・・・・・・・・・世界選手権、他数々の世界大会でメダル多数を獲得。

小林寛美さん(経済学部(H19年)

水泳部

大阪市立大学始まって以来のオリンピック選手が水泳部から誕生しました。

主な戦績です。

●北京五輪(2008年)シンクロナイズドスイミング日本代表でチーム演技に出場。日本チーム五位入賞に貢献しました。

>>JOCのページ

●2008年4月・プレ五輪(北京)
・・・・・・・・・・・チーム:銅メダル
●2007年12月・候補から日本代表決定に。
●2007年日本選手権
・・・・・・・・・・・チーム:優勝
・・・・・・・・・・・個人:第3位
●2007年9月北京五輪候補選手となる
●2006年ローマ・オープン(ローマ)

・・・・・・・・・・・チーム:金メダル
●2006年アジア大会(ドーハ)
・・・・・・・・・・・チーム:銅メダル
●2006年ワールドカップ(横浜国際)
・・・・・・・・・・・チーム:銀メダル
・・・・・・・・・・・FC:銀メダル
●2005年世界選手権(モントリオール)で銀メダル2つ獲得。

ワールドカップ2006(横浜)大会でも2つの銀メダル獲得
●2007年3月にメルボルンで行われる
世界選手権代表にも選ばれ3つのメダルを獲得

●現在(2013年)は、アメリカ・ラスベガスでシンクロの素晴らしさを伝える有名なショーに妹さん(妹さんもシンクロ日本選手権ファイナリストです)

 

 

(右の写真は、東京で行われたОB会(恒泳会)での五輪出場壮行会で挨拶する小林さん)

シンクロ北京五輪をご覧になった方はチームの演技でアクロバットジャンプで高く跳んでいるシーンをご覧になったと思います。その2人の内の一人が彼女です。彼女の身体能力を高く買われて彼女が選ばれたのです。(浜寺水練学校所属)

 

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過去にさかのぼると

石原巌(経済学部)さん

昭和22年全日本学生選手権に出場
4回生時。1953年(昭和28年)
全日本学生選手権に平泳ぎで標準記録突破し出場する。まだバタフライという泳法が出来たての頃で、平泳ぎの選手とバタフライのブレストキックの選手とが同じ「平泳ぎ」種目で同居していたのである。
(2002年11月3日)に大阪府知事から
“生涯現役スポーツ賞”を受けられました。


駒村 秀雄(商学部)さん

昭和22年全日本学生選手権出場の標準記録突破
上記石原巌氏と同時に1953年(昭和28年)平泳ぎで
全日本学生選手権出場の標準記録を突破されました。
後年「ラジオ関東」の社長になられました。


藤木 太郎(旧姓浦野)(商学部)さん

1996年アトランタ五輪銅メダリストの父親です。
次女の藤木麻祐子さんが1996年
アトランタ五輪シンクロナイズド・スイミング日本チームの代表選手に選抜され銅メダルを獲得されました。その後アテネ五輪のためのスペインチームコーチ、日本チームのマネジャーも歴任。10年間のスペイン代表コーチで初のメダルに導く立役者になり、2014年から中国代表のヘッドコーチに。五輪は選手、コーチとして4回出場。次ぎのリオ五輪も。
先輩ご本人も現在「マスターズスイミング」の数々の大会に出場され、各地の大会記録等も数多く持っていらっしゃいます。
現在総アクセス数400万人を突破するWebSite【水夢王国】を主宰され、今年で15年目です。


古谷(旧姓福永)(医学部)さん

1967年(昭和42年)全国国公立水上競技大会800m自由形で優勝
しかも
大会新記録を樹立して市大水泳部の名を上げる存在になりました。
さらに、全国の医学部のみで行われる全国医学部水上競技大会でも
見事優勝されたのです。


藤本(さとる)(工学部)さん

日本マスターズ水泳の30歳区分の1984年に25m平泳ぎ16秒2、100m平泳ぎで1分18秒6の日本新記録を樹立。
これをかわぎりに35歳区分でも併せて5回も日本新記録を樹立。
更に、第1回世界マスターズ(代々木五輪プール)では50m、100mで、それぞれ6位、5位入賞を果たしておられます。


具志(おさむ)(商学部)さん

略歴:
1988年 ソウルオリンピック 日本代表コーチ。
1985年・1987年 パンパシフィック大会 日本代表コーチ
一昨年から市大の競泳のコーチとしても多忙な中ご指導頂き、
具志先輩の人間的な素晴らしさは誰もが尊敬の念を抱いてい
ます。お陰様で選手の心身共のレベルは格段に上がり、市大の
競泳のレベルアップが何よりもの証拠です。

写真は、世界選手権に向かって日本水泳陣を
率いて成田から出発する具志氏。


奥田 卓司さん

’98〜’01 関西水球リーグ2部得点王 ベストセブン
チームの精神的支柱でした。


榎本尚浩(工学部・修士課程卒)さん

2003年度日本学生選手権50m自由形に出場。阪市大水泳部では3人目のインカレ出場者となった。
あと0.5秒で準決勝進出するところだっただけに惜しかった。


北島正樹(理学部卒・奈良教育大修士課程)さん

●「2006年度 日本水泳水中運動学会」にて「最優秀論文発表賞」を受賞。

受賞内容:
競泳のトレーニングで広く用いられているインターバルトレーニング。その構成要素である泳速度・単位距離・反復回数・休息時間の4要素全ての最適な組み合わせをトレーニング目的に応じて適切に処方するための方法論を研究し、発表した。

●また水泳の国際学会(Xth International Symposium Biomechanics and Medicine in Swimming)における1つのイベントである各国対抗リレーでは日本を優勝に導き、日本の研究者のフィットネスレベルの高さも証明した!?


2007年、2008年と水球チームが日本学生選手権(神奈川県相模原市)に出場
(2007年のメンバーは、平野、無料井、川上、森田、金、藤木、藤原、中島…他)


坂本一晃(経済学部卒)さん

2010年、2011年と日本学生選手権100m、200m平泳ぎに連続出場の快挙。市大水泳部4人目のインカレ出場者となる。


小梶幹太(2013年現在4回生)さん

次のスタートを待つ小梶君
「用意!」
華麗なバタフライ


2013年度日本学生選手権への標準記録をバタフライ100m、200m2種目とも突破。水泳部歴代5人目のインカレ出場者となる。
しかも、100,200とも自己ベストを大幅に更新。
特に、100Mでは念願の54秒を切った53秒72の大記録で予選8位。予選8位までが決勝に進出する。
ところが同タイム者が他に二人いる激戦。水泳ではこういう場合「スイムオフ」といってその3人だけで再レースをやり、そこで勝った一人が決勝に進めることになる。その結果2位で惜しくも決勝進出を逃してB決勝(9位以下の順位を決める)に進んだ。

予選通過者の発表
1位から8位まで0.5秒の大激戦

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ヨット部

笹岡耕平・昭和39(1964年卒)さん

略歴)大阪府立旭高校出身、市大在学中は体育会ヨット部主将を務める。法学部(谷口ゼミ)を卒業後、(株)サントリーに就職するもヨットへの情熱断ち難く、ヨット製造販売最大手の(株)ヤマハ発動機に転職する。のち、ヨット乗りとして独立し、国内はもとより、国際レベルのヨットレース出場やヨットでの世界一周を果たしている。
また、『列島ぐるりヨットの旅(成山堂書店)』を始め10数冊にのぼる航海記執筆や、主宰している「笹岡ヨット塾」を通じて、日本ヨットスポーツ界の拡大強化と後進の練成に力を注いでいる。現在、マリンコンサルタント・オフィス「そよかぜ産商」代表。
主な活動)
1975 沖縄海洋博・太平洋横断レース(サンフランシスコ→沖縄)に出場
1977 クオータートン級ヨット世界選手権(開催地・日本)に出場
1979 アドミラズカップレース(同 英国)に出場
1982 南太平洋を一周(大阪→南太平洋諸島西回り→ハワイ→大阪)
1984〜86 西回りで世界を一周(大阪→インド→紅海→スエズ→地中海→大西洋→パナマ→南太平洋→グアム→大阪)
1993〜94 日本一周(大阪→四国→九州→沖縄→大阪、大阪→太平洋北上→オホーツク海→日本海南下→瀬戸内→大阪)
1995 メルボルン大阪・ダブルハンド(2人乗)レース出場(メルボルン大阪往復)
1996〜2002 ヨーロッパ大陸を内陸水路で縦断(地中海→バルト海→大西洋→地中海)
2004 本州・北海道一周(大阪→瀬戸内→日本海北上→オホーツク海→太平洋南下→大阪)

いままでに航海した距離の総合計は15万海里(27.7万・)で、ほぼ地球7周分に相当する。今後、地中海をベースにヨーロッパでのヨット旅行を計画中。

【後輩から一言】
ヨットがようやくスポーツとして国内で普及しはじめた70年代、既に海外に遠征されていた先輩の先見性と行動力には賛嘆の他はありません。また航海記では、港湾の案内や税関対応、離れ小島の過疎の暮らしなど、貴重な情報・ノウハウを克明に記載しておられ、観光旅行では得がたいヨット・クルージングの醍醐味が満喫できたと思われます。このような大先輩の航跡を少しでも追って行きたい思いです。

笹岡さん(イタリアPonteza島にて)・・・


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ボート部
・・(漕艇部)

「昭和42年度クルーの中部日本レガッタ準決勝、真ん中の東大を破り1位で決勝に進む。

下記の写真の昭和42年度クルー
バウ 高野(法3)、2番 福本(商3)、3番 金岡(商3)
4番 巽 (商2)、5番 富樫(工4)、6番 佐野(工4)
7番 吉田(商2)、整調 森脇(工4)、コックス 中野(商3)
主将 佐野 孝(工4)、主務 東 佳男(法4)」

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女子
ハンドボール部

江口 有希さん

’97〜’01 関西学生ハンドボールリーグ女子3部得点王

 人数が少なくて女子ハンドボール部がピンチだった時代に目標を掲げて頑張っておられた。2部リーグ昇格の強い力となられた。卒業してからもよく指導に来てくださり、切るシュートと抜群のハンドボールセンスは現役を退かれた今でも我々部員のあこがれである。

 

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競技ダンス部

前田・小池組

’98〜’01 全日選手権 3位

2回生の時から関西ではファイナルクラスまで進んでおられました。


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女子ラクロス部

木村 純子さん

’99 関西ラクロスリーグ戦 女子3部ベスト12
’00    同  リーグ戦    同ベスト12

ポジションはRDW(ライトディーウィ−)。
粘り強いディフェンスでアタックを意のままに流す。
鋭いチェックでボールを奪う。正確なパスキャッチでボールをつなぐ、など。チームの中心的存在として4年間活躍。1999年、2000年と連続で女子3部のベスト12に選ばれ表彰される。


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男子ラクロス部

大西 俊之さん

’02 関西ユース選抜で活躍

2回生から、市大のエース。実力もまだまだ伸びている。先が楽しみな選手。('02年の部長の言)


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山岳部

ヒマラヤ・ランタンリルン遠征隊、第1次(1961年)、

第2次(1964年)

初登頂第3次(1978年)
ヒマラヤ・カンツロバ・ヒマール登頂隊、(1970年)
ヒマラヤ・四光峰遠征(1989年)

 

 


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サッカー部

葛和修二さん(1999年3月卒)

1996年春季リーグ2部優勝、1部昇格。
 秋季リーグ1部7位、1部残留
1997年春季リーグ1部7位、入れ替え戦の末2部降格。 
 秋季リーグ2部優勝、入れ替え戦の末2部残留。
1998年春季リーグ2部6位
 秋季リーグ2部2位、入れ替え戦の末2部残留。
1996,1998年関西学生選抜Aチーム
1997年関西学生選抜Bチーム
1997、1998年 全日本大学地域対抗戦出場
2000年7月−2002年6月
 ENTENTE SANNOIS St-GRATIEN(フランス4部)
2003年7月− U.S.O.N MONDEVILLE FOOTBALL(フランス4部)

卒業後有名銀行に就職するも、サッカーへの情熱堪え難く退職。己の力を試そうと孤軍フランスのプロテストに挑戦。現在フランスの4部リーグに所属して夢を追い続けている葛和さんです。

ナイキのCMに中田の代役で登場
葛和選手からのメール「このCMは去年のワールドカップの時に流れていたもので、ナカタ選手の正面以外のカットは、実は僕でした。有名選手と一緒にプレーできてかなり興奮しました
撮影時期は2002年1月末ローマにて。CMは去年の夏放送されていたもので、船の中で試合を繰り広げるバージョンです。

出演はロナウド、フィーゴ、ロベルト・カルロス、トッティ、アンリ、ナカタでした。
 その時、中田君は丁度怪我をしていてプレーできないという事で、急遽ヨーロッパでサッカーができる日本人というかアジア人が探されたそうです。フランスの1部から4部までの選手の顔写真が載った選手名鑑に僕が掲載されていたので、その写真を見て僕に白羽の矢が立ったという事です。
僕以外は本物でかなり緊張しました。ほんといい経験になりました。撮影から1年半経ちますが、その状況をまだまだ鮮明に思い出せて、興奮できます。」

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