当日のミックスとダブルス決勝戦の模様
(深田佑介著『さらば麗しきウインブルドン』から転載)

(三木,ドロシー・ラウンド組)

三木龍喜は、デ杯戦のあと、この芝の乾いているウインブルドンに出場、シングルスは2回戦で、南アフリカのカービーと組んだダブルスは準々決勝で、それぞれ敗退したが、ドロシー・ラウンドと組んだミックストでは、破竹の勢いで勝ち進み、1回戦でチェコのローラー夫妻を破り、2回戦でイギリスのフレッシュウオーター・ロバートソン組、3回戦で、グランギュラス・アンドラスのオーストリア・米混合組、第4回戦でオーストラリアのマックグラス・ハーチガン組、5回戦で、三木の親友、青木とハートウイグ組をそれぞれ破った。準決勝でイギリスの強豪、リー・ジェームズ組と6−3、6−2で倒し、遂に決勝に進出、前年度世界順位4位のオースチンとシェファード・バロン夫人の組と対戦することになったのである。

7月7日午後4時、最終試合、ミックスト決勝に先立って、英国国王ジョージ五世と皇后メアリーは、フレッド・ペリーとドロシー・ラウンドをロイヤル・ボックスに招き、祝いの言葉を授けた。
この年は英国庭球界にとって画期的な年で、男女シングルスとも、イギリスのフレッド・ペリーとドロシー・ラウンドが優勝、25年ぶりに男女選手権の優勝がイギリス選手の手に帰したのである。三木龍喜の長年にわたる、ドロシー・ラウンドへのコーチが実を結んだかたちであった。

イギリス名物のお茶の時間が終わって、観客が席に戻ってきたところで、いよいよ最終試合のミックスト決勝がセンターコートで開始された。
相手のオーステインはいうにおよばず、シェファード・バロン夫人もダブルスの名手で、1931年には、ウインブルドン女子ダブルスに優勝している。

第1セット、ドロシー・ラウンドは国王と接見した興奮が去らないのか、調子が出ず、3−6で落とした。ドロシーの出足が遅いのを三木は良く承知しているから、敢えて声をかけたりはしない。

第2セットに入って、ドロシーの調子が漸く出てきて、重い球質のグランド・ストロークが相手のベースラインぎりぎりに決まり始めた。ラリーが続き始め、三木はじりじりと中央にせり出していって、敵の送球領域ををせばめてゆく、相手が無理にパッシングで抜こうとすると、身を翻して叩いた。ロブをあげてくると、スマッシュを軽くバロン夫人に返す。再びロブをあげてくると、またスマッシュを軽くバロン夫人に返す。
そして相手陣形の乱れをマって、その間隙をつく強烈なスマッシュをどかんと入れる。
この日の三木は絶好調で、まるでミスのないテニスをした。


バロン夫人が37歳、スタミナに限界のある点を狙って、バロン夫人のサイドのネット際にぽとりぽとりとドロップ・ヴォレーをしきりに落とした。芝生が乾いていて、ボールが2,30センチしか弾まないのを知った上での戦術である。
ドロシーにグランド・ストロークの応酬をさせて、後方に引きつけておいては、繰り返し、ドロップ・ヴォレーを落とした。

オースティンの方もいくぶん虚弱体質気味の点があって、体力に自信がない。次第に焦り始め、三木とドロシーはこのセットを6−4で取った。
第3セットは三木の独壇場だった。ここまでノー・ミスの三木は、パッシングにヴォレーに超美技を連発し、三木の一打ごとに大観衆がどよめき、拍手を送った。

ドロシーとのコンビは絶妙で、まったく相手の付け入る隙を許さず、ラブ・ゲームのまま試合は進行、三木は50数ゲーム、ノーミスで最後に三木の打った一打でゲーム・セットとなった。スコアは6−0で相手に1ゲームも許さなかった。大拍手の中で、三木とドロシー・ラウンドは握手し、オースティンは「ウエル・プレイド」と三木のプレイを称賛しつつ、握手の手を差し伸べてきた。

遂にただ一人の日本男性として、三木龍喜はウィンブルドンの勝者の歴史に名を残したのである。サンデー・エキスプレス紙の記事によれば、カメラマンの注文に応じて、写真を獲り終えた、ドロシー・ラウンドは、正面から三木を見つめ、

「ミッキー、あなたは勝っても負けても表情を変えないひとなのに、今日初めて、そんなに楽しそうに、大きく口を開けて笑うのを見たわ」
微笑を含んでいった。

 

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