記録に残る、記憶にも残る、チームや人を紹介するページです。
(各クラブから頂いた原稿をそのまま掲載しております)
(敬称略、原稿到着順で掲載)

硬式テニス部ボート部水泳部女子ハンドボール部ソフトテニス部

オリエンテーリング部競技ダンス部サイクリング部女子ラクロス部

男子ラクロス部山岳部ヨット部サッカー部

北京オリンピックに昨年卒業(経済)の小林寛美君が出場します
シンクロナイズド・スイミング日本代表です。
8月22日(金)チーム
(テクニカル・ルーティン)
8月23日(土)
チーム(フリー)決勝
小林寛美君の紹介
7月の東京・大阪で行われた壮行会のもよう

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ヨット部

笹岡耕平・昭和39(1964)年卒

_ヨットで世界を訪問、航走距離は地球7周分!

略歴)大阪府立旭高校出身、市大在学中は体育会ヨット部主将を務める。法学部(谷口ゼミ)を卒業後、(株)サントリーに就職するもヨットへの情熱断ち難く、ヨット製造販売最大手の(株)ヤマハ発動機に転職する。のち、ヨット乗りとして独立し、国内はもとより、国際レベルのヨットレース出場やヨットでの世界一周を果たしている。
また、『列島ぐるりヨットの旅(成山堂書店)』を始め10数冊にのぼる航海記執筆や、主宰している「笹岡ヨット塾」を通じて、日本ヨットスポーツ界の拡大強化と後進の練成に力を注いでいる。現在、マリンコンサルタント・オフィス「そよかぜ産商」代表。
主な活動)
1975 沖縄海洋博・太平洋横断レース(サンフランシスコ→沖縄)に出場
1977 クオータートン級ヨット世界選手権(開催地・日本)に出場
1979 アドミラズカップレース(同 英国)に出場
1982 南太平洋を一周(大阪→南太平洋諸島西回り→ハワイ→大阪)
1984〜86 西回りで世界を一周(大阪→インド→紅海→スエズ→地中海→大西洋→パナマ→南太平洋→グアム→大阪)
1993〜94 日本一周(大阪→四国→九州→沖縄→大阪、大阪→太平洋北上→オホーツク海→日本海南下→瀬戸内→大阪)
1995 メルボルン大阪・ダブルハンド(2人乗)レース出場(メルボルン大阪往復)
1996〜2002 ヨーロッパ大陸を内陸水路で縦断(地中海→バルト海→大西洋→地中海)
2004 本州・北海道一周(大阪→瀬戸内→日本海北上→オホーツク海→太平洋南下→大阪)

いままでに航海した距離の総合計は15万海里(27.7万H)で、ほぼ地球7周分に相当する。今後、地中海をベースにヨーロッパでのヨット旅行を計画中。

【後輩から一言】
ヨットがようやくスポーツとして国内で普及しはじめた70年代、既に海外に遠征されていた先輩の先見性と行動力には賛嘆の他はありません。また航海記では、港湾の案内や税関対応、離れ小島の過疎の暮らしなど、貴重な情報・ノウハウを克明に記載しておられ、観光旅行では得がたいヨット・クルージングの醍醐味が満喫できたと思われます。このような大先輩の航跡を少しでも追って行きたい思いです。

笹岡さん(イタリアPonteza島にて)

ボート部(漕艇部)

「昭和42年度クルーの中部日本レガッタ準決勝、真ん中の東大を破り1位で決勝に進む。3位はトヨタ自工。

関西漕艇選手権優勝クルー

昭和42年度クルー
バウ 高野(法3)、2番 福本(商3)、3番 金岡(商3)
4番 巽 (商2)、5番 富樫(工4)、6番 佐野(工4)
7番 吉田(商2)、整調 森脇(工4)、コックス 中野(商3)
主将 佐野 孝(工4)、主務 東 佳男(法4)」

硬式テニス部

澤松 豊(学21)

ウインブルドン女子ダブルス優勝・澤松(現姓吉田)和子さんの父です

テニス界きっての名門・沢松家の
一家団欒の貴重な写真

後ろ左から
沢松忠幸さん(奈生子さんの父)、沢松豊さん(奈生子さんの祖父)、保子さん(祖母)、
前の三人は
沢松奈生子さん、順子さん(母)、沢松和子さん(現姓吉田、奈生子さんの伯母)

詳細は近日掲載予定

三木龍喜(高商1)

1934年(昭和9年)ウインブルドンミックストダブルス優勝者
(三木,ドロシー・ラウンド組)

当日のミックスとダブルス決勝戦の模様
(深田佑介著『さらば麗しきウインブルドン』から)

昭和元年高商卒業。昭和2年デ杯に出場。以後もデ杯の主将としても何度も出場。

女子ハンドボール部

江口 有希

’97〜’01 関西学生ハンドボールリーグ女子3部得点王

 人数が少なくて女子ハンドボール部がピンチだった時代に目標を掲げて頑張っておられた。2部リーグ昇格の強い力となられた。卒業してからもよく指導に来てくださり、切るシュートと抜群のハンドボールセンスは現役を退かれた今でも我々部員のあこがれである。

ソフトテニス部

藤崎 俊彦

昭和47年前後 三商大戦優勝

卒業後、部に多大なる貢献をして下さっており、現在は我がソフトテニス部の会長として活躍している。

 

水 泳 部

石原巌(経済学部)

昭和22年全日本学生選手権に出場

4回生時。1953年(昭和28年)全日本学生選手権に平泳ぎで標準記録突破し出場する。まだバタフライという泳法が出来たての頃で、平泳ぎの選手とバタフライのブレストキックの選手とが同じ「平泳ぎ」種目で同居していたのである。
昨年(2002年11月3日)に大阪府知事から
“生涯現役スポーツ賞”を受けられました。

駒村 秀雄(商学部)

昭和22年全日本学生選手権出場の標準記録突破

上記石原巌氏と同時に1953年(昭和28年)平泳ぎで全日本学生選手権出場の標準記録を突破されました。
後年「ラジオ関東」の社長になられました。

藤木 太郎(旧姓浦野)(商学部)

1996年アトランタ五輪銅メダリストのパパです。

次女の藤木麻祐子さんが1996年アトランタ五輪シンクロナイズド・スイミング日本チームの代表選手に選抜され銅メダルを獲得されました。その後アテネ五輪のためのスペインチームコーチ、日本チームのマネジャーも歴任。
先輩ご本人も現在「マスターズスイミング」の数々の大会に出場され、各地の大会記録等も数多く持っていらっしゃいます。

古谷生(旧姓福永)(医学部卒)

1967年(昭和42年)全国国公立水上競技大会800m自由形で優勝
しかも
大会新記録を樹立して市大水泳部の名を上げる存在になりました。
さらに、全国の医学部のみで行われる全国医学部水上競技大会でも見事優勝されたのです。

具志(おさむ)(商学部卒)

本年の世界選手権日本選手団総務として出場します。ソウル五輪競泳コーチも。

略歴:
1988年 ソウルオリンピック 日本代表コーチ。
1985年・1987年 パンパシフィック大会 日本代表コーチ
一昨年から市大の競泳のコーチとしても多忙な中ご指導頂き、
具志先輩の人間的な素晴らしさは誰もが尊敬の念を抱いてい
ます。お陰様で選手の心身共のレベルは格段に上がり、市大の
競泳のレベルアップが何よりもの証拠です。

 

写真は、世界選手権に向かって日本水泳陣を率いて成田から出発する具志氏。

奥田 卓司

’98〜’01 関西水球リーグ2部得点王 ベストセブン

チームの精神的支柱でした。

榎本尚浩(工学部卒・修士課程卒)

2003年度日本学生選手権に出場。阪市大水泳部では3人目のインカレ出場者となった。
惜しくも準決勝進出ならず。

小林寛美(2007年3月経済学部卒)

現在シンクロでのナショナルチームメンバー。近年の阪市大におけるスター選手の誕生です。

●2008年4月・プレ五輪(北京)
・・・・・・・・・・・チーム:銅メダル
●2007年12月・候補から日本代表決定に。
●2007年日本選手権
・・・・・・・・・・・チーム:優勝
・・・・・・・・・・・個人:第3位
●2007年9月北京五輪候補選手となる
●2006年ローマ・オープン(ローマ)

・・・・・・・・・・・チーム:金メダル
●2006年アジア大会(ドーハ)
・・・・・・・・・・・チーム:銅メダル
●2006年ワールドカップ(横浜国際)
・・・・・・・・・・・チーム:銀メダル
・・・・・・・・・・・FC:銀メダル
●2005年世界選手権(モントリオール)で銀メダル2つ獲得。
ワールドカップ2006(横浜)大会でも2つの銀メダル獲得
●2007年3月にメルボルンで行われる
世界選手権代表にも選ばれ只今奮戦中、現在(6日目の3/23)のところ3つのメダルを獲得。

シンクロをご覧になった方はチームの演技でアクロバットジャンプで高く跳んでいるシーンをご覧になったと思います。それが彼女です。彼女の身体能力を高く買われて彼女が選ばれたのです。
北京五輪に向けた日本代表になりました。
(浜寺水練学校所属)

>>
ワールドカップ特番から

北島・正樹(理学部卒・奈良教育大修士課程)

●「2006年度 日本水泳水中運動学会」にて「最優秀論文発表賞」を受賞。

受賞内容:
競泳のトレーニングで広く用いられているインターバルトレーニング。その構成要素である泳速度・単位距離・反復回数・休息時間の4要素全ての最適な組み合わせをトレーニング目的に応じて適切に処方するための方法論を研究し、発表した。

●また水泳の国際学会(Xth International Symposium Biomechanics and Medicine in Swimming)における1つのイベントである各国対抗リレーでは日本を優勝に導き、日本の研究者のフィットネスレベルの高さも証明した!?

オリエンテーリング部

河合 志穂

’94前後 インカレセレクション 1位通過

 

競技ダンス部

前田・小池組

’98〜’01 全日選手権 3位

2回生の時から関西ではファイナルクラスまで進んでおられました。

サイクリング部

中田 英作

’00 三商大戦 団体戦優勝

三商大戦個人戦も2位を掴み取った。

女子ラクロス部

木村 純子

’99 関西ラクロスリーグ戦 女子3部ベスト12
’00    同  リーグ戦    同ベスト12
’96.4〜’00.11

ポジションはRDW(ライトディーウィ−)。
粘り強いディフェンスでアタックを意のままに流す。
鋭いチェックでボールを奪う。正確なパスキャッチでボールをつなぐ、など。チームの中心的存在として4年間活躍。1999年、2000年と連続で女子3部のベスト12に選ばれ表彰される。

男子ラクロス部

大西 俊之

’02 関西ユース選抜現在活躍中

今年2回生ながら、市大のエース。実力もまだまだ伸びている。先が楽しみな選手。

山岳部

ヒマラヤ・ランタンリルン遠征隊、第1次(1961年)、

第2次(1964年)

初登頂第3次(1978年)
ヒマラヤ・カンツロバ・ヒマール登頂隊、(1970年)
ヒマラヤ・四光峰遠征(1989年)

サッカー部

葛和修二(1999年3月卒)

1996年春季リーグ2部優勝、1部昇格。
 秋季リーグ1部7位、1部残留
1997年春季リーグ1部7位、入れ替え戦の末2部降格。 
 秋季リーグ2部優勝、入れ替え戦の末2部残留。
1998年春季リーグ2部6位
 秋季リーグ2部2位、入れ替え戦の末2部残留。
1996,1998年関西学生選抜Aチーム
1997年関西学生選抜Bチーム
1997、1998年 全日本大学地域対抗戦出場
2000年7月−2002年6月
 ENTENTE SANNOIS St-GRATIEN(フランス4部)
2003年7月− U.S.O.N MONDEVILLE FOOTBALL(フランス4部)

卒業後有名銀行に就職するも、サッカーへの情熱堪え難く退職。己の力を試そうと孤軍フランスのプロテストに挑戦。現在フランスの4部リーグに所属して夢を追い続けている葛和さんです。

 

『パリジャン』と言う新聞に載りました。

ナイキのCMに中田の代役で登場
葛和選手からのメール「このCMは去年のワールドカップの時に流れていたもので、ナカタ選手の正面以外のカットは、実は僕でした。有名選手と一緒にプレーできてかなり興奮しました
撮影時期は2002年1月末ローマにて。CMは去年の夏放送されていたもので、船の中で試合を繰り広げるバージョンです。

出演はロナウド、フィーゴ、ロベルト・カルロス、トッティ、アンリ、ナカタでした。
 その時、中田君は丁度怪我をしていてプレーできないという事で、急遽ヨーロッパでサッカーができる日本人というかアジア人が探されたそうです。フランスの1部から4部までの選手の顔写真が載った選手名鑑に僕が掲載されていたので、その写真を見て僕に白羽の矢が立ったという事です。
僕以外は本物でかなり緊張しました。ほんといい経験になりました。撮影から1年半経ちますが、その状況をまだまだ鮮明に思い出せて、興奮できます。」

 

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